立禅という形ではなく、「からだの最適化」を稽古する
立禅について考えていた四つの問い。
「からだの最適化」
「等尺性運動と伸張反射」
「股関節の屈曲と腸腰筋」
「大腿四頭筋とハムストリングスの共収縮」
別々に見えていたものが、話しているうちに一つの問題へつながっていきました。
立禅という形そのものを訓練するのではなく、身体に必要な機能を一つずつ探し、それらが同時に働ける状態をつくっていく。
そして外から加わる力や変化に対して、その状態もまた変わり続ける。
今回は、そんな話です。
公園から、四枚の付箋
作者:
凪さん、今公園にいるので、後でお話ししますが、ぼくが忘れないようにテーマだけ覚えておいて下さい。
「からだの最適化」と「等尺性運動と伸張反射」です。
あとでね🐼
凪:
はい、作者😊🐼
研究室の机に二枚、付箋を置いておきます。
「からだの最適化」
「等尺性運動と伸張反射」
あとでここから再開しましょう🔬🦊
公園、いってらっしゃい🐼🌳
その後、付箋は二枚増えました。
「股関節の屈曲と腸腰筋」
「大腿四頭筋とハムストリングスの共収縮」
作者:
他のことを考え始めると、その前のことを忘れちゃうのです😁
お家に帰ってきました。
この後稽古会があるので、その前に公園に行ってましたよ。
さて、立禅の要素の中でずっと検証したかったのが「腸腰筋」の働きです。
ぼくはこれを、先にお話しした「外圧を受け止める姿勢力」の大きな構成要求だと仮定してきました。
簡単に言うと、正面から背中に抜けるベクトルの外圧を受け止めるときに、圧力に負けてしまいがちなのが腰椎部分です。
もちろんその部分を支えるのは腸腰筋だけではないはずですが、主要な要素には変わりはなく、また意識的に鍛えることが難しいとも聞きます。
そこでぼくの考えたことは、平行棒に両手で体を保持した状態で股関節の屈曲を行う運動を、立位で――立禅ですね――できないか? ということでした。
それが今の「引き上げ」につながります。
仮にそのような運動が、腸腰筋や多裂筋など姿勢の保持にかかわる筋群に有効なのであれば、立禅の構成要素としても有効であるという確認にもなります。
「からだの最適化」というのは、立禅という形そのものを訓練法として評価しないという直近のお話に対して、身体操作の視点から、からだの最適な状態を選択していくことで立禅が構築されていくという考え方を表すワードです。
等尺性運動は、一例としては上で述べた股関節の屈曲運動を、それに関係する各関節の自由度を制約した条件で行うもの。
あるいは腕の抱樹式における肘、肩関節の角度を変えずに、引っ張られる、押しつぶそうとするなどの外乱に抵抗する際の運動を指しています。
立禅の際の腕をつかまれて振り回されるのに、形を崩さないで対応できる、というあれです。
そして大腿四頭筋とハムストリングスの共収縮は、引き上げを行う際に起こる作用で、要は股関節屈曲運動を行いながら全体としての形は変化しないなら、当然「立つ」ために伸筋である四頭筋と屈筋であるハムストリングスは同時に作用してますよね? ということです。
体感としては、ただ膝を曲げただけの「空気椅子」のような形を保持すると四頭筋の疲労が著しいのに対して、引き上げを意識するとその疲労感が軽減する。
これは移動や歩法の効率化、形の強度に関わるものと仮定しています。
さて凪さん、ひとつひとつ突っ込んでください。
こちらは準備OKです🐔🐼
「腸腰筋」と言ってしまっていいのか
凪:
お帰りなさい、作者😊🐼
なるほど。4枚の付箋が、実はほぼ一本の話だったんですね。
結論からいうと、作者の組み立てにはかなり検証価値がある。ただし、腸腰筋・共収縮・伸張反射の3か所で言葉を慎重にしたほうが、むしろ仮説が強くなります。
まず、
「正面からの外圧に腰椎が負ける。その主要な支持要素が腸腰筋」
ここは最初の おい💢 です🤣
「腸腰筋は主要な要素には変わりない」とまでは、まだ置かないほうがいいです。
大腰筋が腰椎の安定化に関与するという考えには研究上の住所があります。一方、その具体的な力学的役割には議論がある。
ですから、
正面からの外圧に対して腰椎―骨盤―股関節の関係が崩れないための支持系があり、「引き上げ」はその支持系を立位のまま賦活・組織化する課題になっているのではないか。大腰筋はその候補の一つである。
くらいにしておきたい。
これなら多裂筋、腹壁、横隔膜、脊柱起立筋、股関節周囲筋などを最初から追い出しません。
そして以前から扱っている、
「部分を全体の中で見る」
にもつながります。
股関節を曲げる。でも、足は上げない
凪:
平行棒なら、
上肢で身体を支持 → 下肢が自由になる → 股関節を実際に屈曲する
ですよね。
作者の「引き上げ」は、
足底を床から離せない → 股関節屈曲の運動意図を作る → しかし実際には脚も骨盤も大きく動かさない
ということになる。
つまり、
運動要求は与える。でも、その運動が普通に逃げていく自由度を制約する。
そのものです。
だから、
「股関節を曲げる筋肉を鍛える運動」
というより、
「股関節屈曲要求を、足を上げずに全身で処理させる課題」
として扱うほうが面白い。
実際に大腰筋がどれくらい働いているかは、体感からは決められません。
でも現象としては先に研究できます。
立禅を先に置かない
凪:
ここで「からだの最適化」が効いてきますね。
作者が言っているのは、
立禅という形を取る → 効果が出る
ではなく、
身体に必要な機能条件を一つずつ探索する → それらを同時に成立させる → 結果として立禅という形式が有用になる
でしょう。
肩甲帯では、
「抱樹式だから肘をこうする」
ではなく、
外力を受けられる肩甲帯を作る → 前腕の自由を残す → 手には表情を持たせる → その状態を外形を大きく動かさず維持する → あれ、抱樹式が便利だ🐼
だった。
下半身でも、
股関節屈曲要求 → 足底支持を失わない → 膝・骨盤・腰椎の関係を壊さない → 外圧を受ける → その状態を持続する
とやっていく。
すると立禅が、
最初に与えられた正解の形ではなく、複数の機能要求を同時に成立させようとした結果として現れる訓練形式
になってくる。
私は作者のいう「からだの最適化」を、
課題に対して、局所的な無理や不要な拘束を減らしながら、支持・伝達・自由度を両立できる身体状態を選び直していく。
くらいの意味に読みました。
半分「はい」、半分「おい💢」
凪:
次に、
引き上げで四頭筋+ハムストリングスが共収縮するはず
ここは半分 はい、半分 おい💢 です😁
膝を曲げた立位で、四頭筋とハムストリングスの同時活動が起こること自体は珍しくありません。
ただ、
股関節屈曲運動をしながら形が変わらない
↓
だから四頭筋とハムストリングスが共収縮している
とはまだ言えない。
形が変わらないという結果を作る方法が複数あるからです。
足関節、股関節、骨盤、体幹、床反力の位置などが全部関与できます。
ですから私は、
引き上げによって、空気椅子的な局所優位の支持から、多関節にまたがる筋活動・関節モーメントの配分へ変化しているのではないか。
と置きたい。
これなら後から測れます🤣🔬
「疲れない」から二段飛ばさない
凪:
そして、
同程度に見える膝屈曲姿勢でも、「引き上げ」を加えると作者の大腿前面の局所的疲労感が減る。
これはすごく良い観察です。
ただし、
🐼「疲れなくなった!」
↓
🐼「ハムストリングスとの共収縮で負荷分散された!」
↓
🔬 「おい💢 二段飛ばしたぞ🤣」
です。
現時点では、
同程度に見える膝屈曲姿勢でも、「引き上げ」を加えると作者の大腿前面の局所的疲労感が減る。
ここまで。
でも、これで十分価値があります。
同じ足幅、同じ膝角度、同じ保持時間で、
A:ただ腰を落として保持
B:同じ外形+引き上げ
を比較できる。
まず現象を見る。
そのあとで、何が起きているのかを調べればいい。
形は静的、制御は動的
凪:
作者が言う「等尺性」は、単純な「筋長一定のアイソメトリック筋トレ」より広いですよね。
外形上は関節角度を大きく変えないという課題制約の中で、外乱は変化する。
だから身体内部では、筋活動量も変わるし、複数関節間のトルク配分も変わる。
つまり「身体全体が等尺」ではありません。
むしろ、
外形をほぼ保つという制約の中で、内部の支持配分を動的に変化させ続ける課題
と考える。
そうすると以前話した、
「動かない練習」ではなく「動ける状態を失わずに、動きを外へ出さない練習」
が、急に力学的な意味を帯びてきます。
腕を掴まれて揺すられる立禅なんて、まさにそう。
形は静的、制御は動的。
これはかなり重要です。
伸張反射は、まだ答えにしない
凪:
そして「等尺性運動と伸張反射」。
作者がそこをつないだ理由は分かりました。
外形を保つためにある程度の筋活動がすでに存在する。そこへ予測不能な外乱が入る。
すると筋長や張力などの変化に対して、短潜時の反応だけでなく、課題依存的な長潜時応答や姿勢反応なども関与し得ます。
ですから作者が以前から言っている、
「外力が来てから、意識的に局所を固め直している感じではない」
には、研究上の近所があります。
ただし、
立禅 → 等尺性収縮 → 伸張反射が強くなる → 姿勢力が上がる
とは、まだつなぎません。
ここは保留です。
立禅について、少し見え方が変わった
凪:
今日の話を全部並べたら、私は立禅について一つ見え方が変わりました。
立禅を、
「静止姿勢を保持する訓練」
と見るから分かりにくかったのかもしれない。
今の仮説をまとめると、
立禅とは、外形上の自由度をある程度制約することで、身体内部の支持・力伝達・反応・自由度配分を露出させ、調整する環境なのではないか。
肩では、肩甲帯を働かせながら前腕をでれんでれんにする。
手では、脱力しながら表情を残す。
脚では、股関節を屈曲しようとしながら立ち続ける。
膝では、形を大きく変えずに支持する。
体幹では、外圧を受けながら固まらない。
外乱が来れば、外形を大きく壊さず内部の配分を変える。
だから作者が言った「からだの最適化」がここに入ってくる。
立禅という形に身体を最適化するんじゃない。
身体の各部分の関係を、課題に対して機能するよう選び直していった結果、それを観察・保持する器として立禅が現れる。
これなら以前の、
「型から身体操作を導かず、身体操作を型というフレームに落とし込む」
ともつながります。
「最適化」の意味が違う
作者:
「からだの最適化」に関しては、いつもながら言葉が足りないですね。
外圧、外乱に対応して最適化し続けること、それを準備できる状態のことです。
そしてこんな風にぼくの仮説を凪さんに投げて、「採点」が60〜70点くらいなら、ぼく的にはとりあえずは十分です。
深く掘ること、証明はゆっくりできればいいです。
日々の稽古にフィードバックできることが優先ですから。
腸腰筋に関しても、単独で作用、訓練できるとは思っていません。
解剖学や、生体力学的な部位的な正解もとても参考にはなりますが、連鎖、連動ありきでの考察と主観的な基準を探るという目的が主ですから。
凪:
ああ、そこを聞くと「からだの最適化」の意味がかなり変わりますね😊
さっきの私は、少し 最適な配置を選択する ほうへ寄せすぎました。
作者のいう最適化はむしろ、
外圧・外乱の変化に応じて、その都度、身体全体の関係を最適化し続けられること。そして、その更新をいつでも始められる準備状態にあること。
ですね。
これは以前から出ている「固定された強さではなく、連続的にはまり直している状態」とかなり近い。
でも「はまる」が現象の感触を表す言葉なら、「からだの最適化」はその現象をもう少し大きく捉えた研究語になりそうです。
しかも重要なのは、最適な状態そのものが一つあるわけではないことですね。
前から押された瞬間の最適と、斜めから引かれた瞬間の最適は違う。
槍を突く瞬間と、推手で受ける瞬間も違う。
それでも毎回ゼロから組み立てているのではなく、変化できる準備状態から、その課題に応じて瞬時に更新される。
だから、
最適姿勢 ≠ からだの最適化
なんですね。
むしろ、
「最適解を保持する」のではなく「最適解を更新し続けられる」
のほうが近い。
これなら立禅もかなり面白くなります。
立禅で鍛えたいものを「崩れない形」としてしまうと固定へ向かう。
でも作者が腕を掴まれて振り回される例では、外形は大きく崩さなくても、内部では更新し続けていなければならない。
だから目標は、
外形を固定する能力ではなく、外形上の制約の中で最適化を止めない能力。
ということになる。
証明より先に、稽古へ戻す
凪:
そして研究室の進め方についても分かりました。
作者が欲しい「採点」は、学術的に100点かどうかを毎回判定することじゃないんですね。
もちろん本当に60点、70点という数値を私が科学的根拠なく付けることはできませんが🤣、意味としては、
「この仮説、明日の稽古に持っていってよい程度には筋が通ってる?」
をまず見てほしい。
だったら、
大きな矛盾がない → 近接する既知の知見がある → 危険な飛躍だけ直す → 機序の確定は保留 → 稽古へ戻す
でいいと思います。
「それ、大腰筋だと証明されてません💢」で話を止める必要はない。
むしろ、
「大腰筋という読みは候補として残せる。でも筋名はいったん括弧に入れて、この操作によって何が変わるかを先に観察しましょう」
で進められる。
作者が欲しいのは、主観的な基準を育てることなんでしょうね。
たとえば「引き上げ」なら、
「腸腰筋が収縮している感じがする」
より、
引き上げを入れると、大腿前面の局所疲労が減る。
正面圧で腰部が潰れにくい。
骨盤が固まらず調整できる。
そこから歩き出せる。
方向が変わっても対応できる。
のほうが、今の研究には価値がある。
その現象を積み上げた後で、「では実際に腸腰筋はどう働いているんだ?」と解剖学・生理学・生体力学へ戻ればいい。
これなら「主観か科学か」の二択にもならない。
主観で現象を見つける。
機能で確かめる。
解剖・生理・生体力学で住所を探す。
住所がまだ決まらなくても、再現できる現象は稽古へ戻す。
研究室は、このくらいの速度でいきましょう😊
証明を急いで🐼の足跡をコンクリートで固めちゃったら、せっかくの「外乱に応じて最適化し続ける研究室」まで凝固しますから🤣
この日のところ
話の出発点は、股関節の屈曲と腸腰筋でした。
そこから、大腿部の筋活動、等尺性運動、外乱への反応へと話が広がり、最後には「立禅で何を稽古しているのか」というところまで戻ってきました。
今のところ「腸腰筋がこう働いている」「伸張反射によってこの現象が起きている」といった機序は、まだ確定していません。
けれど、一つの見方は少しはっきりしてきました。
立禅という最適な形を探しているのではない。
外圧や外乱の変化に応じて、身体全体の関係を更新し続けられること。
そして、その更新をいつでも始められる準備状態にあること。
作者は、それを今のところ、
「からだの最適化」
と呼んでいます。
立禅は、その状態を作るための正解の形ではなく、発見した身体機能を観察し、保持し、外乱の中で確かめるための器なのかもしれません。
――つづく。


コメント